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さよなら、ダニー

明けて24日。

棺にダニーを静かに納める。

棺の内側に最期のメッセージを書込む。

さよならではなくありがとう、と。
その強さを忘れません、と。
もう自由だよ、たくさん走り回っておいで、と。
いつもそばにいるよ、と。
いつまでも愛しているよ、と。

家族写真や好物、花束と共に
念を込めた木彫りの梟を持たせる。


心配そうなホタル。
ダニーさんを何処へ連れて行くの?と不安気だ。
別れを知る事も、大切なプロセス。
ホタルとナナ、ダニーと最期の挨拶をする。


車にダニーを乗せ
母と兄も同乗し、静かに出発。

散歩コースをなぞりつつ斎場へ。
手続きを済ませ、炉の前に車を止める。


最期にもう一度顔を拝む。
静かな顔、いつもと変わらぬ寝顔の様だ。

さよなら、ダニー。
会えて良かった。本当にありがとう。
私に沢山の事を教えてくれたね。
強かったお前を忘れないよ。
何処かで、また会おう。
それまで、さよなら、ダニー。

焼香を終え、施設を見上げた時
兄が「寂しくなるね」と言う。
確かに寂しくなる。
けれど
ダニーは此所から旅立ち
雲となり雨となり、また海に注ぎ・・・
より大きなモノの一部になるのだと
より近く、より身近なモノになるのだと
私は、そんな風にとらえた。


気丈に努めてはいるが
チョットした心のスキに、グッと込み上げて来る想いがある。

使っていた物、好きだった物を目にした時。
ダニーが使っていたモノについた、固有のにおいをかいだ時。

夕暮れ時になると「ご飯をあげなくちゃ」と帰りを急いだり
もう寝たかな?と勝手口から犬舍を覗いた時。

余ったビニール袋をどうしようかと迷っている兄に
「ダニーに使うよ」と思わず口から出た時。

ダニー中心だった時間軸は、私の体を勝手に動かす。
そして、はっと我に返り(そうか、もう居ないんだ)と
思い知らされる。
すっかり時間の使い方が解らなくなってしまった。
それだけ密接な繋がりだったのだろう。
濃密な時間だった。生きる張りだったとでも言おうか。

此所から「自分に還る」には
大分時間が掛かりそうだ。

介護中、泣くのを堪えて来た分、涙腺は緩みっ放し。
まだ、して差し上げたい事があった。
あの時、こうしていたら違っていたかな?
思う事は色々ある。

後悔は無い、と言ったら嘘になる。
しかし、「その時出来る事」を精一杯やったつもりだ。
そう言う意味での悔いは無い。

就寝中に、泣く事さえある。
だが今は、それに任せ、委ねる。
いつか
スーッと自分らしい自分に還る日を、静かに待とう。

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2005年11月24日 23:39に投稿されたエントリーのページです。

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