« ホロホロ | メイン | さよなら、ダニー »

巨星逝く

ダニーが逝った。突然の最期だった。


温かく眠れる様になって良かった
良いおむつが見つかって良かった
床擦れした傷痕をカバーする程毛が生え揃って良かった
なんて思っていた矢先だった。
寝袋を用意して、夜中の世話をしようカシラ?
子供用フリース服を着せようカシラ?
近所のアパートに入居が始まったら、夜泣き対策をどうしようカシラ?
なんて考えていた矢先だった。

昨日までごくいつも通り、自分でご飯を食べ、水を飲み
後半身のシャワーをして、タオルドライしてドライヤーで乾かして
傷のチェックして、パッチ当てておむつして
Tシャツ着せてタオルバンドまいて「ハイ、終わり」とお尻をポン。
ごくごくいつも通りだった。

こんなにあっけないものなのか。

母の声に「まさか?!」と自室を飛び出し
階下へ向かうと、既に母は号泣している。


動かぬダニーに、最初に出て来た言葉は
「何だよぅ」であった。

何だよぅ、何も言わないで逝くなんて
何だよぅ、何の前触れもなく逝くなんて
何だよぅ、何だよぅ、何だよぅ

すました顔して寝てないで
起こして、と呼び鳴いて。
おむつ替えて、と呼び鳴いて。
お腹すいた、と呼び鳴いて。

温もりの残る躯に
私は思わず、耳を押し付けていた。
そこに命は聞こえなかった。

ああ、逝ってしまったのだ、と
思い知らされた瞬間だった。

堰を切った様に涙が溢れた。

止めどなく溢れる涙。
私はソレに任せた。


温もりの残る躯を、蒸しタオルで拭いながら
「今動いた?もしかして?」
なんて望んでいる私が居た。
見開いたままの瞳は、既に光が消えていると言うのに。

毎日毎日、「起こして〜」と呼び鳴いていたのに
急に居なくなってしまうなんて。

余裕無くてイライラしてしまった事が悔やまれる。
昨夕、2度程続けて鳴いた時
すぐに鳴き止んだので「寝言かな?」と様子を見に行かなかった事が悔やまれる。
ごめんね。
独りで淋しかっただろうね。


慌ただしく、送る準備を進めるが
時は既に夕刻。
私は迷っていた。

衛生には細心の注意を払って来た。
朽ちて行く前に一刻も早く送らねば
と焦る気持ち。

しかしながら
まともにお別れが出来ないのは、もっと辛い。

一旦は、当日送るつもりでいたが
ぼろぼろ泣きながら支度をする内
従兄が愛犬を亡くした時
一晩添い寝をした事を思い出した。

そうだ、ちゃんとお別れをしよう。

母と兄に、日を改める事を伝えると
「そうだね、それがいいね」と
私の翻意を、快く受け入れてくれた。


自分流にしっかりダニーを送ろう。


先ずは、ドライアイス。
季節は秋、気温も大分下がったが念のため。

以前取引した事のある製氷店を、母から教わり訪ねる。

なかなか言い辛い、その「使用法」ではあったが
意を決して伝えると
店の方は、静かに意を汲み
躯の大きさを問い、使用法を説明して下さった。
赤く腫らした涙目の私を気遣う様な
優しく穏やかな口調であった。

次に棺。
と言っても、専用の棺ではなく、私流段ボール棺である。

気丈であろうと努力はしているが、やや思考が怪しい私に
DIY店までの道順を、兄が心強くサポートしてくれる。
ありがたい、ありがたい。

ダニーが窮屈でなくおさまりそうな箱を購入する。
店からの帰り際、兄は花束を購入。
優しい色合いの花束。
その気持ちがありがたく、嬉しかった。

車へ向かう最中
母と兄が「不死鳥」の様な形の雲を見つける。
私も空を見上げる。
丸い頭に嘴、羽を広げ、長い尾をどこまでも伸ばす
手塚治虫の描いたあの「火の鳥」の様だった。

 常々「ダニーは不死鳥の様だ」と思っていた。

 シニア期に入り、生涯一度だけ患った大病で手術をする際
 獣医から「覚悟が必要かもしれません」と言われたが
 彼は強く戻って来た。

 犬は痛くても、よっぽどの事がないと「痛鳴き」をしない。
 ダニーが「痛鳴き」をする程、肩を痛めた事があったが
 彼は手当てに応え、完治させた。

 齢を重ね、皮膚が傷みやすくなったり
 介護期に入り、床擦れができたりもした。
 それらもまた、手当てに応えた。

 何度覚悟をしただろう。
 その度に、彼は強く舞い戻って来た。
 本当に生きる強さに恵まれた犬だった。

偶然の出来事とはいえ
何処かでまた生まれ生き続けるという「不死鳥」と
ダニーを重ねずに居られなかった。
出先で人目も憚らず、涙を流す。
とても抑え切れる感情ではなかった。
ソレに任せるのが良いのだ、と
解き放て、と、本能がそうさせる。


帰宅後
母はダニーの好物を供え
兄は花を手向け
父は念仏を唱える。

私は長い時間寄り添い、この17年弱を思い返していた。

子犬の頃からの思い出が、次から次へと思い起こされる。
介護期も、よく頑張ってくれた。応えてくれた。
ダニー、お疲れ様。アチラで存分に走り回るといい。
美味しいもの鱈腹食べて、自由に過ごすといい。

反面
自分の身を捥がれた様な痛みと、虚無感。
ダニー、私はもう用済みなん?
(もう逝くわ、ほなサイナラ)と放り出された様だ。

心配した母が様子を見に来る事、数回。

自室に戻り、木彫り梟の首飾りをアレンジする。
苦労せぬ様(不苦労)
闇夜に目が利く様、道に迷わぬ様
福がある様
ありがとう、また会おうね
手元が滲む中、様々な想いを込めつつ。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://sonny.visithp.com/nadaho/mt/mt-tb-artemis.cgi/194

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

Verification (needed to reduce spam):

About

2005年11月23日 23:09に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「ホロホロ」です。

次の投稿は「さよなら、ダニー」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Creative Commons License
このブログは、次のライセンスで保護されています。 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス.
Powered by
Movable Type 3.35