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いのちのおもみ

『見て見て、持って来たよ。』

玩具を銜えては見せに来る。

「何を持ってきたの?見せて。凄いね。偉いね。」

褒めると
玩具を銜えた口角をニヤリと上げ
尻尾をブンブンと千切れんばかりに振り
コチラの足に頭を押し付けてくる。。

続けて・・・
「頂戴・・・。頂戴ったら。」
と、構ってみれば
『イヤ。渡さないワ。絶対に。これは私のモノよ。』
と、こちらの興味を引き付ける。

かくして、どちらも構い合い、遊び遊ばれ合うのである。

ホタルと凜は、玩具大好きレトリーヴァー。
上の様なやり取りは、母娘そっくりである。
ホタルは「天才的」とも言える玩具遊び好きなコだ。

私のホタルに対する印象は
賢く、忍耐強く、控えめ
しかし時折ハチャメチャもやらかす遊び好きの甘えん坊。
良い遊び相手だ。

そのホタルがこの十数日で、すっかりと弱ってしまった。
食餌もすっきり食べず、水分もちょっぴりしか摂らない。
ゴロリと横になったまま、ただ眠っている。
みるみる肉が落ち、小さな躯になってしまった。
声を掛け撫で元気付ける。
たまに前半身を起こし、頭を上げて尻尾をチョロリと振ったり
玩具に関するワードに反応したりするが
目に力が無い。
 
 
夏ばてかな?
兄は毎日手を変え品を変え
なんとか食べさせよう飲ませようとするが受け付けない。
やっとこ食べたとコチラが安心しても、吐き戻す。

食べる事は生きる事。

私は私で、夜寝ている時にも考えていて
想い付いた事を伝える。
しかしアレも駄目、コレも駄目・・・。

細菌系かな。
病院で検査して治療して頂こう。

13日。
兄がホタルを病院へ。
予想だにしない命の期限を告げられる。
 
送られてきたメールに胸を突く哀しみ。
すぐさま電話を掛けたが、やはりかなり堪えている様だった。

こうして、見送る事を重ねると
当然、共に生きる事とは、見送る事とは
どこに重きを置くか、と普段から考える様になる。

数値がコレです。病気はコレです。
処置はホゲホゲです。根治治療に打つ手は無いです。


現実なのだが、現実味が無い。
しかし受け入れなければならない。
こういうのが、本当に堪える。

命はいつか尽きる。
現代の医療は素晴らしいが、それでも命は尽きる。

何処が病んでいるかは解った。
そこからどうするか。
どうすれば双方幸せなのか、安心なのか。
否、そればかりは知る事はできないのかもしれない。
しかし、どうすれば安心して穏やかに逝けるのか、納得して見送れるのか。
きっと、心の奥底からの納得にはならない。
けれど、どこまでそこに近付けるか。
今、問われているのはそこなのだと想う。

不安だ。
こんな風に期限を切られるのは初めてだ。
逃げたい様な感覚。
でも見送る責任がある。


安心できる場所、嗅ぎ慣れたにおい。
聞き慣れた声、足音。
夫々の特徴のある撫で方。
そこに存在するだけで安心できると言うなら
思い切り甘やかす、撫で捲くる、べったりくっ付く。
声をワントーン高くして褒め捲くる。

そう想いながら
何かできないのだろうか
本当に何もできないのだろうか
甘やかすだけで良いのだろうか
しかし
何が出来ると言うのだろうか

ぐるぐると
延々と
取り留めなく
廻る。


ホタルは体調が悪い時、本当に辛い時
私の部屋の外開きのドアの前で眠る。
私を閉じ込めるのだ。

「ホタル?ホタさん?出れないよ・・・出させてください(懇願)」
普通に寝ていたなら、ちょいとドアを押し開ければ動いてくれるのだが
前回、子宮蓄膿症の時も、今回も全然動かず
何とか隙間を作ってソコから出入りしたのだ。
あの時、私になにかを訴えていたのだろうか。

私は何が出来るのだろうか。
其処に居て、触れて、声を掛け
見守る事しか出来ないのだろうか。

ダニー介護の最中
夜に昼に、よく付き合ってくれた優しいホタル。
私はそれに応えたい。
それに応えたい。
私は何が出来るだろう。
 

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2015年08月14日 05:06に投稿されたエントリーのページです。

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